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NAVI LOFT クリエイション企画 ①

​ナビロフト×,5

『さかさま』

原作:佐々木透(リクウズルーム)
テキスト構成・演出:澄井 葵(,5 てんご)

出演:小熊ヒデジ(てんぷくプロ)、江上定子

アフタートーク 記録

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NAVI LOFTクリエイション企画①

『さかさま』アフタートーク

□ゲスト:諏訪哲史(作家)

□トーク参加:澄井葵(演出家)・小熊ヒデジ(企画プロデューサー・出演者)

□司会:林真也

:今回の企画は、「NAVI LOFT クリエイション企画」と銘打たれています。まずは、小熊さんからこの企画についてご説明いただけますか?

小熊:はい。ナビロフトはご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、北村想さんが主宰していたプロジェクトナビという劇団のアトリエだったんですね。プロジェクト・ナビが解散して十年くらいは劇場として運営していたんですけど、その時の代表の方が退くことになり、二年半前に僕がここのスタッフとして関わることになりました。二年半の間に他の地域との交流をやったり、あるいは地域で活動している劇団の支援をしたり他にも色々なプログラムを企画してやってきたんですけども。ここで、劇場でものをつくるっていうか、作品を作るということをいずれはやりたいなと思っていたんですね。で、それが今回叶った形です。澄井さんとは、一緒に作品を作れるといいねって話を去年したことがあって。で、それとまぁちょうど、これをやろうかな、やりたいなっていうのがちょうどタイミング的にあったというか。それで今回やることになりました。

:今後も継続していかれるんですよね?

小熊:はい。やっていきたいなと。劇場でものを、作品を作っていくってことはやっぱり大事なような気がしていて。継続していきたいなと。

:次回の予定は決まっているんでしょうか?

小熊:えー来年の初夏くらいにできたらなと思ってます。

:なるほど。ありがとうございました。では、今日の上演についてのトークに移りたいと思いますが、澄井さんから、作品について何かあらかじめ言っておきたいことなどはありますか?

澄井:いや、諏訪さんの話をもう、はい、早速聞きたいと思っています。

:はい。では諏訪さん、率直に、今日の上演をどう思われましたか?

諏訪:僕は澄井さんのお芝居を観るのは三回目なんですね。初めはベケット(2015年/オープン・ベケット参加作品「あのころ」)を七つ寺でやった時に観て。で、2年前に「ことばのあや」(2016年/,5本公演)。そして今日です。あのまぁ整理しきれていないんですけど、個人的に、ものすごく生々しくて怖いなと。怖かったんですよ。で、すごく「リアル」なんですね。抽象的で難解なのかなと思って観始めたんですけど、その逆で、僕が毎日過ごしている日常のような。いや、そういう(さかさまになった)非日常を暮らしているわけじゃありませんよ(笑い)。僕は僕で現実を生きてるんですけど。ちょっとひとくさり話させてもらっていいですか。

あの、僕、作家になる前から、十何年も前から双極性障害っていう精神病を患っておりまして。躁になったり鬱になったりするんですね、躁鬱病っていう。躁の時には不意にゾーンに入ったように突飛な逸脱衝動が自覚なく起こったり、自殺したくなったり、人には見せられないような奇怪な文章や創作物ができたりします。日ごろは薬を飲んで抑制しています。それで、その躁のときっていうのは何か「目指すべき地点・時点」が少し自分より5ⅿくらい前にあって、あるいは5秒くらい前にあって、絶対にその差を埋めることができない。何々をしなければ、あの「目指すべき地点・時点」に向かって何々をしなければ、今からしなければ、やらなければ、行かなければ、(作中の)会議に行かなければっていう状態と同じです。で、逆に鬱の時っていうのは5mくらい後ろ、5秒くらい後ろに「目指すべき地点・時点」があって、ああしとけばよかった、(作中の言葉でいうと)試験に行っておけばよかった、間に合っていたらよかったのにっていう。つまり、病的に前方を目指し求め、追いすがろうとするのが「躁」、病的に後方を顧みて絶望し、悔やみつづけるのが「鬱」です。とにかく現実の少し前か少し後ろにしかいられなくて、自分がちょうどのゼロの境地にいることが絶対にできない、常にずれているっていうことが、まぁ僕の言葉でいう双極性障害っていう定義になるんですけど。この今日の芝居っていうのは一種の、まぁ一つの、自我の単一性みたいなものが失われた、そしてもう一つ言うと演劇っていうものに特権的にあるはずのシンクロニシティっていうのか、同時性といいますか、複数の観客が一つのものを同時に観るっていうこれが演劇における特権的な武器だと思ってるんですけど……。小説は皆さんがバラバラな時間に読んだりするわけで、音楽もナマのオーケストラなんかはシンクロニシティあるかもしれませんけどそれを、それさえも虚構にしかねないちょっと恐ろしい感じがしました。だからあの(澄井さんは)病気だと。ああ、可哀想な子だな、病気だなと。

澄井:(苦笑)

諏訪:はじめは、というか観る前は、まあカフカなんだろうと思っていたんです。

 

澄井:そうですよね。

 

諏訪:そう皆さん芝居を観る前からおっしゃるでしょう。あの、犯罪より前に逮捕があるっていうカフカ的不条理ですね。こういったものっていうのは文学でも色々書いてきた歴史があるんですけど。その皆さんご自身が実は自分がゼロにいないんだっていう、僕はまぁれっきとした札付き・診断書付きの精神病者なのでそうなんでしょうけど、皆さん健常者の方々ご自身も実は自分は今この時にこの芝居を観ていないんじゃないか、とかですね、それから自分が生きている現実、そして自分はあの孤独な「彼」という男をあざ笑える立場にいるのかどうか、自分もゼロ時間の住人ではないんじゃないか、少し後ろにいるのか少し前にいる人間なのではないか、それぞれの人がそういったほんの少しだけの「心的な時間のずれ」、すなわち「比喩的な双極性障害」を患っているんじゃないかっていう、そういったことを問いかける、問いかけうる芝居かもしれないなと思って。一つの架空世界っていうかオルタナティブな仮想現実、並行世界みたいなものっていう言い方が一番安直な定義になるかもしれないけど、そうじゃなくてここのゼロに行けないもどかしさや、ゼロだったはずの人間が前に押し出された後悔、そのもどかしさが少女とサラリーマンの「会議に行かなければならない」「試験に出ておけばよかった」それが交差しながら最後に……。

それから、小説にできないことってまず「沈黙」なんですね。そりゃ作家の腕として「文字列のなかで沈黙を表現する」ってことはあります。でも現象的には全て活字がこう上から下に降りていっている。実験小説で白紙を何枚も使うっていうのはありますけど、所詮それは小手先であって。やっぱりすべての作家は、ふだんどんな寡黙な人間でも、紙の上では饒舌にさせられてしまう。片や芝居は沈黙を時間として使うことができる。もう一つは今日のラストみたいに二人の人間が同時に話すっていうですね、これも文学では活字を組み重ねたりするようなタイポグラフィとかでできなくもなさそうだけど、やっぱり小手先なんです。

そういった意味で時間や空間をずらしている、時間・空間・自己さえも自分で手に入れられていない、演じている人も……まぁ今日の場合は小熊さんと江上さんなんですけども、あの人は小熊さんだってことは分かっているんだけども小熊さんじゃないという虚構を演じているわけで、一致しないですよね。本当のそのリアルな感覚っていうのはこの「一致しなさ」にあると僕は思っていて。一致した「幸福な瞬間」っていうのはどんな人間も実は味わっていないんじゃないかって。未来的に憧れているだけ、あるいは過去的にあの時ああしておけばよかったって回顧しているだけであって、すべては早すぎるか遅すぎるんだってことを観ながら思いました。


あと、もう一つはあの(作中のセリフの)異様にゆっくりな速度は僕の日常生活と一緒だなぁって思いました。あのぐらいの速度でよく家の中を歩いたり、独り言をつぶやいたりしています。ああいう感じだなあと。誰も話す人がいないのに。だから怖い、怖いものを、なんで他の人が知っているんだろう(笑い)、なんで澄井さんは知っているんだろうっていう怖い思いをしました。

 

:上演前にお話ししたとき、諏訪さんは、かなり澄井さんに共感を寄せられているとおっしゃっていました。澄井さん、今の諏訪さんのお話を聞いていかがですか?

澄井:ああ、でも本当に嬉しいです。あと、全然関係ないですけど私もちっちゃい頃、本当は今5秒後の世界に生きているんだとしたらどうしようみたいな。私だけが、5秒先を生きていて、皆と5秒ずれていたらどうしようみたいな。トイレとか本当はとんでもないことになってるんじゃないかとか、よく分かんないんですけど。

諏訪:怖い怖い、分かるそれ。

澄井:頑張って5秒後に生きてみようとかやったけどやっぱりよく分かんなくなるっていうかそういうことは思ってたので。

 

諏訪:ものすごい強化ガラスみたいな膜があって絶対ゼロに行けないんですよね。喩えるなら、先の細い箸でオリーブオイルまみれのビー玉を挟もうとするときみたいに、どこがジャストな真ん中、ゼロなのかっていう。ここ挟むとこっち行ってしまう、こっち挟むとあっち行ってしまう。絶対自分は完全なゼロをつかめない、そんな自分は誰なんだって、そういう浮遊霊みたいな気のする恐ろしい日常っていうのがあって。

:それは時間の感じなんですか?

諏訪:空間も時間もですね。小熊さんが鉄柱から全力のスローモーションでジャンプされたときなんかは、あれはゼロへの、命を賭したジャンプだと僕は思うんですけど、でもあれでもゼロに行けていないんですよね。どっかこう宙空にいるまま……小熊さんのあのスピードもすごく怖い。土方巽の暗黒舞踏じゃないけど、普通に早く動いたりするよりも、指のわずかな動きだけで怖い。ゼロじゃない世界に棲んでいる人っていうのが見えて怖い。

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:最初の場面で、小熊さんは仰向けに寝転んでいて、そのままあまり動かないので、ちょっとした指の動きや小熊さんの体をしげしげと観る感じになりますよね。

諏訪:うん、そう。

:動かないので見る所を探していくしかない。結果、それぞれが観ているところは違ってくると思うんですが。

諏訪:僕はあれほど小熊さんの足の裏のしわをじっくり眺めたことは今日までなかった(笑い)。

:諏訪さんは足の裏ですか。

諏訪:や、もうずっと観てました。

:僕はひじのあたりが印象に残りました。

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澄井:小熊さんなんか不思議な体で。多分他の、普通の人よりか分かんないんですけど、床にすごくピタッとくっついて寝るんです。なんか本当に生きてないんじゃないかなってくらいなんかピタってくっついているので、(観てる側が)不安になるんですよね。横たわっていると。それがすごく良くて。

WEBの記事で「小熊さんの体不思議ですよね」と言って声をかけた、というエピソードが紹介されていましたね。

澄井:そうですね。なんというか小熊さんにしかない体の時間というかなんか「小熊時間」みたいな不思議な感じがあって。

小熊:ここで去年彼女が芝居を、まぁフェスみたいなのがあってひとり芝居の演出で彼女が来て、僕はスタッフだったんです。受付にいたり、とか。僕は作品は一個観たことがあったんですけど直接澄井さんとお話しするときは全然それまでなく、でまぁ挨拶したぐらいなんですよ。彼女は僕の芝居を観ていないんですね。打ち上げに行って、そこで話すじゃないですか。

諏訪:怖い。

澄井:(笑い)

小熊:とても面白い体してますねっていうんですよ。

 

諏訪:(澄井さん)霊媒師なんじゃないの。怖いな。

小熊:俺受付にいて、うろうろしてただけだよねって思ったんだけど、それがすごい印象で。なんだろう。

 

澄井:私、変な人じゃないですかそれ。

小熊:まぁ作品自体も面白かったんですよ。あの明らかに一人立ち位置が違うんですよ、作品の。なんだろう、なんだろうなぁって興味深くて。

 

諏訪:小熊さんの体の使い方って、地球の重力へ疑義を呈すじゃないけど、普通に僕らが当たり前にしていていつもは忘れている重力っていうのを考えさせますね。タイトルも「さかさま」だからほんとはこの舞台は地面じゃなく天井かもしれないっていう。梶井基次郎の小説に「蒼穹」っていう短編があって、僕らよく芝生に仰向けに寝転んで何分も空だけを吸い込まれるように見つめていると、ある瞬間、空へ真っ逆さまに落っこちそうになる気がすることがあるじゃないですか。ねぇ、そういうことってありますよね。そういう短編があるんですけど、小熊さんを、あそこで縛り付けにしている重力っていうのは僕らを下方向に向かわせている重力と異なるかもしれないものがあって、そういう肉体が見せる不思議というのか。それはでも澄井さんがそういうお芝居にされて、僕らはそれを観て気がつくことであって。うん、まぁやっぱり霊媒師だなと。

澄井:(笑い)

:制作の過程はどんな風だったんでしょうか?

澄井:作っていく過程。すごくやっぱり体のほうはもう私が勝手に、小熊さんが動いているのを観て、こう削いでいったので小熊さんは自覚的ではないと思います。そういう部分も多いんですけど、セリフのほうは本当にすごく大変だったと思います。

小熊:覚えるのが。

 

全員:(笑い)

:多いですもんね。

小熊:それで、普通のアレ(セリフ)じゃないじゃないですか。こう言われたからこう返す、っていう。物語がない。

 

諏訪:(会話の)キャッチボールじゃないですよね。

 

小熊:だから余計に覚えるのが大変だったですけどね。

 

諏訪:淀みなくしゃべってるときはしゃべれる、覚えてる科白を、あんなにもスローに分断してしゃべるって、ねぇ、覚えてても不意にしゃべれなくなりそうで怖いですよね。

 

小熊:やってて思ったのはそれが逆に、むしろ、要するに掛け合いみたいな普通の、普通のっていう言い方もアレですけど、普通の言葉だともう意味がとても分かるというか意味がちゃんとついてるというか、なんだけど、諏訪さんがおっしゃるように分断されてるだとか違ったところに意識がいくっていうことだと。純粋に言葉を扱うというか俳優として、その作業が心地よく感じるっていうことはありましたねぇ。それは大変だったけど楽しい作業でした。

諏訪:まるで書き言葉をしゃべっている感じがするんですよ。つぶやきが小熊さんの話し方やおぼつかなさによって声なのに肉体を持つ「文字」が吐き出されているような、そういう感じが。

 

:今回使用したテキストは小説なんですよね?

澄井:そうですね。元はリクウズルームって東京で活動する(現在活動休止中)佐々木透さんという方が、今30代なんですけど、20代のころに書いた小説を今回、小熊さんと公演しましょうとなって、私が知ってる作品の中で小熊さんにぴったりだと思って使わせていただいているんですね。基本的にこういうテキストが多いです。その、はっきり言わないんですけどその思考の周りで、それに伴うルートというか、そういうものだけで廻り続けているっていうのが彼のテキストの特長だと私は思っていて。でも人間ってそうじゃないですか。

 

諏訪:うん、そう。

澄井:その思考のルートの中で出してもいいものだけちょっと外に出しているだけで、ずっとあるので延々と止まらずにずっとあるので、その辺の水面下の部分を形にしたいと思って。本来人間の持っている感覚というか、その水面下の部分に対して自覚的になる思考力を自覚する、そんなこともあるよねということをフィードバックしたいと。

:最初に小熊さんが寝ている場面は、ものすごく声が小さいので、なかなか客席からはセリフが聞き取りづらい。まさに意識の水面下の部分が漏れ出ているような感じで、部分的にはわかっても、トータルで何を言っているかまではわからなかったんですが、そこはどんな風に作っていたんでしょうか?

小熊:「聞こえます?」って稽古の時に澄井さんがそこにいるので、「聞こえてます?」って聞きました。何度も。そしたら「聴こえる」っていうんですよ、なので……。ただ、声をあまり張ると意図してることと違った状態にいってしまうんだろうなぁって。だから、求められている体の状態をキープしながらなるべく届けようとはしていました。

諏訪:僕が思い出したたのはヴィム・ヴェンダースの「ベルリン・天使の詩」っていうとても有名な映画で、天使たち同士はお互いの存在が分かるんですよね、見えるっていうか。でも天使たちのささやき声とかつぶやきは人間達には一切聞こえない。分からない。今日の出演された小熊さんと江上さんはそういう人智を超えた会話を実はしてて、僕らは僕らで一応人間らしい顔つきをしながら観劇しているわけですけど、なんかそういう会話にならない、つまり、天使と天使がつぶやいて、それこそ沈黙ができると天使が通ったとか、そういった精霊的なものを感じたし……。

あと島尾敏雄の小説、島尾敏雄はよく夢の中のような世界を書くんですけど、「子之吉の舌」っていう小説が、舌を噛み切っちゃった子供を病院に連れてかなきゃいけないんだけども、出かける父親はネクタイが結べなくて、出るに出られないっていう。で、ピクニックみたいに一家で病院に向かおうと電車に乗るんですけど、手術をしてもらうお金を工面するために途中で降りて金策に回るっていう話なんですね。よく夢の中だと不条理なことが起こるんだけども、その(作中の)会議に出なきゃいけないのに、パンをいちいちくちゃくちゃよく噛んで食べたり、地下街の天井を歩かなきゃいけなかったりしますね。で結局幕になるまでたどり着かないじゃないですか。ゴドーが最後まで現れないように。それが演劇の人の書かれる小説なのかなと。原作を読んでないけど思いました。いろんなこと考えました。

澄井:一ついいですか。

諏訪:うん。              

澄井:聞こえないってあの、そんなに、いえ言われるんですね、聞こえないって絶対お客さんに。でも聞こえないといけないのかなって。明瞭に一字一句、すべて聞こえないといけないかなって。

諏訪:全然いけなくないですよ。むしろすべき。それもだから小説にできないことなんですよ。ポイントをいくら小さく表記してもそれはつぶやきが小さくなったことにはならないから。虫眼鏡で読めちゃうから(笑い)。本当にずっと演劇に嫉妬してますね僕、今日は。

 

澄井:普通に一字一句明瞭に届いていたとしても多分私たちはそれを自分の中でポイントしか押さえてなくて。自分で情報を削いでいるのでその、削いでいる作業をこちらで先にしているみたいな、大体全部聞こえても何言ってるのか分からないテキストですから、まぁそれがお客さんにとってはストレスなのかもしれないですけど、でもその中で届く言葉があればそれはその人にとってダイレクトに響いた言葉なのかなっていう期待もあって。まぁ削いだうえに削がれているので、それで聞こえなかったら、こちらが届けられませんでしたっていう部分なのかもしれないので、こちらのさらに課題でもあるとは思いますし。ただ、人は言葉を絶対選んで聞いているので、その部分はお客さんと一緒に考えていきたいというのはあります。

:そのお客さんが何を拾うか拾わないか、という話は、俳優の言葉との向き合い方にも言えると思うんですよ。舞台から発せられる言葉に対するお客さんそれぞれの向き合い方があるのと同じように、台本に書いてある言葉、つまりテキストに対する俳優の向き合い方もそれぞれなんだと思うんです。今回の上演では、小熊さんも、共演者の江上さんも、言葉一つ一つと丁寧に向き合っていて、言葉一つ一つに対する解釈のようなものが舞台を見ていると伝わってくるような気がします。小熊さんは、今回はどんな風に言葉と付き合われたんでしょうか?

小熊:冒頭部分ですか。

:いえ、作品全体として。

小熊:そうですね、あのちゃんと答えになっているか分からないんですけど、俳優はまぁ俳優やるとセリフがあるけど、俳優って言いやすいように言うんですよね、基本的に。自分がしゃべりやすい、芝居しやすいほうに行っちゃうんですよ。ほっとくと。で、注意してるんですけど。今回は特に、できる限りしないようにしようと。だから今までも僕が経験している演劇、俳優っていう時間があって、そこで言ってみれば癖みたいなものがあると思うんですけど、それには負けないようにしようと思ってます。だから、もうすごくできるだけピュアに言葉、音といってもいいかもしれないけど、言葉には意味がありますから、その言葉のピュアな意味と僕のなるべくピュアな部分をぶつけられたらという思いは多分あったと思います。

諏訪:あのスピードっていうのはどうやって決まったんですか。もっと早くしゃべってくださいとか、もっと遅くしゃべってくださいとか澄井さんからの演出指示はなかった?

澄井:基本的には、私は体の状態が嘘でなければ、例えばもっと遅くても全然面白く観えてしまうと思うんですよね。なのでその小熊さんがおっしゃてるような、そういう都合がいい、都合がいいってつまりちょっと嘘だけどこうする、っていうものだと思うんですけど、そういうものがなければ私にとっては誠実に見えるというか、この芝居においては非常に誠実にこの場で成立できるので、小熊さんに嘘がなければどんなに遅かろうが早かろうが正解、なんだと思っています。指示というか「今、体が嘘になっていますよ」とか、そういう指摘はしました。

 

小熊:稽古の初めは怖かったですよ。こんなゆっくりでいいのかなって。

 

諏訪:僕らが怖かったですよ。こんなゆっくりでいいのかって。えらい目に遭いました(笑い)

 

 

(質問は省略します。)

​『さかさま』アフタートーク 

9月15日(土)18時の回終演後に開催

写真撮影:就也(千喜屋)

NAVI LOFT クリエイション企画①

​ナビロフト×,5

​『さかさま』

□原作:佐々木透(リクウズルーム)

□テキスト構成・演出:澄井葵( ,5 )

□演出:小熊ヒデジ(てんぷくプロ)、江上定子

 
■日程:2018年9月14日(金)〜16日(日)
​■会場:ナビロフト
メディアさかさま
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