ナビロフト救済基金
応援メッセージ
ナビロフトゆかりの方や、地域の演劇関係者の方々などから
応援メッセージをいただきました!
※新着順に掲載しています。
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※順次更新中です。
劇場は記憶の集積だと思います。やった芝居、観た芝居、全てが劇場に紐づけされて、空気を丸ごと記憶しています。忘れられない映画も、映画館の記憶は意外とぼんやりするモノですが、忘れられない芝居は、受付周りや帰り道、前説のやり方なんかもまとめて覚えているから不思議です。コロナ禍な昨今、誤解を恐れず言うならば、作り手や劇団やカンパニーは、どんな状況であれ、何度でも息を吹き返すと僕は思っています。劇場はどうでしょう?一度なくなってしまったら、ホントに無くなってしまうのです。特に民間の小劇場は、その生い立ち自体が時代の必然的偶発であり、今まで継続してきたコト自体が奇跡なんだから…。何度でも言います。今、一番守るべきは小劇場です。小屋です。ナビロフト救済基金の期間が、もうすぐ終わるようです。無くなってから後悔しても、2度と息を吹き返さない小劇場のために、出来ることを今一度、試みようではありませんか!
はせひろいち(劇作家、演出家、劇団ジャブジャブサーキット代表)
from名古屋
愛知県名古屋市天白区の劇場
「ナビロフト」さん!
沖縄から名古屋。
劇団ビーチロックで
2019年の1月に公演をさせてもらった場所
「ナビロフト」
(※ そしてその後2019年7月は、一人芝居フェスINDEPENDENTでジョーイ&新井がお世話になりました!)
沖縄県外の「冬」の寒さの中、
お世話になった数日間。
遠征してきた僕たち。
ナビロフトさんに、びっくりするほどよくしてもらった!
お昼と夜の食事を”炊き出し”していただいたり。(美味しかったです!)
受付や会場案内などを全面的に手伝っていただいたり。
劇団ビーチロック一同
ナビロフトさんの受け入れ体制に
人のあたたかさを感じた。
旅公演の素晴らしさを、胸がギュッとなるほど感じた。
コロナで大変な時期。厳しい時期。
「ゆいまーる」=助け合い!
あの、あたたかい劇場の灯がともされ続けますように!
新井章仁(劇団ビーチロック主宰)
from沖縄
小屋入りすると「今回は何を作ろうかな?」と炊き出しメニューをいつも考えています。同じ釜の飯を食う仲間で舞台を創る…そんな事ができる劇場ナビロフト。
今回の応援メッセージ作成にあたり、あまりに豪華な顔ぶれに一度は躊躇したものの…僕がやっているこんな小さな団体でも、規模とか関係なく温かく迎えてくださるナビロフトの魅力を伝えたくて、メッセージを作成しました!
自主企画の公演会場から、客演させて頂いた劇団での稽古場としても本当にお世話になっています。使用される年代も幅広く学生劇団から全国各地の劇団まで多様で沢山の作品を観劇できます。
ナビロフト、絶対に存続してもらいたい劇場です。
再び沢山の劇団がナビロフトに集い、毎週公演のある日常が訪れる事を願っています。
菊正(キクマサプロジェクト)
from名古屋
KUDANprojectの「真夜中の弥次さん喜多さん」で弥次を演り、シスカンパニーで北村想さんの「日本文学シアター」の全作品の演出を演らせて頂いている寺十吾です。
想さんは演劇界の宝です。小熊さんは小劇場界の偉人です。宝が偉人にバトンを渡したこの場所は絶対に絶やしてはいけないんです。
どうかどうか助けてください。
今のボクもここから始まったんです。
寺十吾(tsumazuki no ishi代表/俳優・演出家)
from東京
空宙空地の関戸です。 ナビロフトはずっと通い続けていました。 初めて見たのは「あ、ほーまんす」だったかと思います。なんてくだらなくてステキなんだろうと思いました。それから色んな舞台を見に通いました。 何故か僕がナビロフトで芝居をやる機会がそんなになく、前回の空宙空地の公演で、やっとガッツリ小屋をお借りして公演を打ちました。ステキな小屋です。
まだ足りないんです。不要不急の空間って言われると二の句が継げないんですが、僕らはその空間をなんとか埋める為、あらゆるものをかけて挑んでおります。まだナビロフトの空間に僕の想いを埋め切れておりません。どうかすべての演劇人の勘違いと妄想でナビロフトの空間を埋め続けさせてください。
関戸哲也(空宙空地/劇作・演出・俳優)
from名古屋
今まで、ナビロフトで上演したい作品に何度も出会ってきました。そして、その度に上演してきました。これからもきっとそういう作品と出会うでしょう。それは、僕以外の人もきっとそうで。そのときにナビロフトがなくなってるというのは、悲しくてやりきれません。
失ってから後悔したくない。
まだまだ安心できない日々は続くと思います。そのなかで押し潰されないためには、すこしでも多くの支援が必要です。
たくさん思い入れのあるこの場所で、また笑顔で楽しく公演がしたいです。
西尾武(妄烈キネマレコード)
from名古屋
かすがい創造庫という舞台芸術製作専門のコウバを運営しています、代表の岡田です。名古屋で活動したい若手でフリーの大道具・舞台美術家・舞台監督が「作業場さえあればもっと良い大道具が作れるのに」という憤りをなくしたい、その思いでかすがい創造庫を立ち上げました。活動し始めておそらく8年ほどは経っています。その間このコウバで多くの作品が作られ、多くの劇場に建て込まれました。
その中でもナビロフトはかすがい創造庫がとてもお世話になっている劇場の一つです。所属メンバーは現状3人ですが、全員がナビロフトでの小屋入りを10回以上経験しています。公演時はもちろん、稽古場での仮組みや、広い作業場が必要な時にもお借りしました。とても思入れのある劇場です。ナビロフトは名古屋の民間の小劇場の中でイチバンの建て込み可能面積を誇ります。天井の高さも同様です。なので建て込めるセットが幅広く、あらゆる工夫を詰め込むことのできる環境がナビロフトには揃っています。ナビロフトで公演するたびに、舞台スタッフとしてのレベルも引き上げられてきました。
ですからこれからもナビロフトには名古屋小劇場およびスタッフの発展を見守っていただきたいのです。まだまだお世話になりたいので、みなさま今後ともナビロフトをよろしくお願いします。
岡田保(かすがい創造庫/舞台美術家/演劇組織KIMYO)
from名古屋
どうも、ハイバイという劇団の作演出をやりつつ、WAREという会社をやっておる、岩井です。
ナビロフトでは、7~8年前に「霊感少女ヒドミ」を上演させてもらいました。
芸術監督の小熊ヒデジさんには、ハイバイ初の東京外公演となった、名古屋での「ヒッキー・カンクーントルネード」に出演してもらっただけでなく、公演自体の実現にも深く関わってもらいました。
みなさま。率直に申し上げます。ナビロフトが大ピンチだそうです!
このコロナの影響で、劇場を借りる方が激減し、みなさまご存知の通り、税金だけはバッチリ取られ続けるわけですから、そもそも固定費が必要な「劇場」は、全国的に大打撃を受けているわけです。
こういった「小劇場」は、世の中的にも見過ごされがちです。
でも、小劇場がなかったら、僕は多分、今、演劇をやっていないと思います。
僕の場合は東京の片隅にある、1日4万円で借りれる劇場での公演からスタートして、今に至ります。
1日20万円の賃料の劇場を借り、失敗したら再起不能という中で模索するのと、1日5万円の賃料の劇場を借り、何度か失敗しながら模索するのとでは、若い才能の開花率に雲泥の差が生まれます。
思いつきで、軽い気持ちで、誰でも挑戦できる。
そういう場があることは、とても大事だと思います。
皆さんで協力して、なんとかナビロフトを存続させられたらなと思います。
from東京
見逃していたKUDAN Project『真夜中の弥次さん喜多さん』をどうしてもどうしても拝見したく、2018年12月2日、私はナビロフトに初めて伺った。そのためだけに行った名古屋。橋を渡り、植田川沿いを歩き、ここに劇場があるのかしらと不安になるような住宅街の家や庭木を眺めながら、私はここに来たことがあると思った。そこは青森市青柳、堤川にほど近い、かつての渡辺源四郎商店「アトリエ・グリーンパーク」だった。そこは赤煉瓦の自衛隊駐屯地の前をずんずん歩いて行く、善通寺市の「四国学院大学ノトススタジオ」だった。猫に挨拶してしゅんっと急な坂を下っていく那覇の「アトリエ銘苅ベース」だった。中島公園をショートカットして進む「扇谷記念スタジオ・シアターzoo」だった。碁盤の目のくせに、近道しようとすると律儀に迷う「せんだい演劇工房10-BOX」だった。何度この商店街をとことこ歩いたか数えきれない「こまばアゴラ劇場」だった……。
自動車修理工場みたいな、ナビロフトの前に着いた。私はこの劇場を知っている。初めてなのに懐かしい。舞台監督の山中さんが笑顔で迎えてくださった。ああ、ここは「津・あけぼの座」だったのか。いやいや、そういうオチではない。それぞれの地域に根ざす小劇場は、すべて血のつながった親戚の家だ。それぞれの芝居の時間を重ね、各地域の歴史に裏付けられた独自の個性を兼ね備えているのに、演劇愛が醸し出す同じ匂いがする。だから、初めてのナビロフトも懐かしい。終演後、小熊さんにご挨拶する。口にはしなかったけれど、絶対にいつかこの小屋で芝居を打つぞと心に誓った。
さて、そんなナビロフトがSOSを発している。全国各地の小劇場も、演劇界も、というか世界全体が全部大変な状況だけれど、とにかく、ナビロフトが大変だ!みなさん、力を貸してください!私の声は小さいけれど、それでも叫びます。だって、あれからナビロフトに伺えていないのだもの。まだ、ナビロフトでお芝居ができていないんだもの。ナビロフト、がんばってください!渡辺源四郎商店しんまち本店も大変ですが、全国の大きい劇場も小さい劇場もみんな大変ですが、ナビロフト、がんばってください!また伺えるその日まで、演劇の灯を絶やさずに生き永らえてください!そのために、みなさん、どうか力を貸してください!お願いします!
工藤千夏(うさぎ庵/渡辺源四郎商店)
from東京/青森
ナビロフトについて色々考えているうちに、色々と思い出しました。
学生の頃にプロジェクト・ナビの観劇に来たなとか、昔は靴袋に靴いれていたなとか。猫が多いなとか。舞台にも立ったなぁとか。いろいろ。
最近では舞台の撮影にもよく伺いますし、折込みネットワークでチラシの折込みを頼むことが多いので日常的に訪れる劇場です。
スタッフの方とも、ちょっとした雑談なんかも出来て、肩の力を抜いて訪れることの出来る数少ない劇場の一つなので、ここ数か月、顔を出せてないのは寂しいものです。
また前のように、いろんな方がこの場所を訪れて芝居を作ったり観劇したり、そんな風に戻っていくことを心から祈っています。
山内崇裕(折込みネットワーク/Art & Bridal Ritter代表)
from名古屋
芝居なんかなくたっていい、でもあったっていい、理由はよく分からないが、どーもそんな気がする。やっぱりないよりあった方がいいようで、そんなんで芝居は続いて来たようである。で芝居ってのは小屋でやる、小屋がないと芝居は出来ない。街頭でやるのもあるが、やっぱりどうも小屋でやるのが多い、でこんな状況で、名古屋の小屋、ナビロフトが困ってます。
僕の大好きな小屋です。
皆さんお願いします。助けてください!
from東京
『生きていくのに劇場はあった方がいい』
小熊さんとは共演もした、コンブリ団の初めての名古屋公演では多大なお力添えをいただいた。その小熊さんとアフタートークでだったと思うのだが、生活の中に演劇のあるとないのとでは、ある方がとても豊かである。といった話をしたことがある。演劇がなくても、劇場がなくても、人は何とか生きてはいける。コロナ禍のもと私自身も4ヶ月近く劇場に足を運んでいないが、今日もご飯を食べて生きてはいる。生きてはいけるが、やっぱり演劇が生活の中にあった方良いと思う。それも、劇場に足を運んで1日の数時間をそのために費やす。そんな生活が良いと私は信じている。よし、今日はナビロフトへ行くぞと決めて、スマホ片手に開演時間に間に合う電車を検索して、終わったらどこでお茶をしようかぼんやり考え、劇場で知っている人に会うかもしれないワクワクを心に秘め、家を出る。お芝居を観て心打たれ、余韻を楽しみながら帰宅する。数日後、ふとした瞬間、そのお芝居のことを思い出す出来事が自分の身に起こったりする。そうやって、演劇と一緒に生きて行く生活を私は望んでいる。だから、ナビロフトさんにエールを送り続ける。
from京都・三重
名古屋で演劇を見る者にとって、ナビロフトはとても遠いところにある。街の中心か、ほぼ中心の最寄り駅から1分、あるいは数分で着く他の小劇場にくらべ、地下鉄で乗り換えもふくめて2,30分、さらに歩いて10分前後というのはかなり遠い。冬には冷たい川風にさらされて橋を渡るのだ。だから、そこに行くのは「あの芝居を見るのだ」という、強い意識に支えられてのことになる。そのナビロフトになんども通ったということは、そこでは度々「あの芝居」が上演されていたということだ。そして、それを見た帰り、行くときよりは歩みが軽く、冷たい川風も気にならないほどに体が上気していた体験を、私はなんども持っている。つまりナビロフトは、演劇という芸術が、心に灯りをともすことを実感させる場であった。そしてそれは、演劇という芸術が、生きる力を与えるということを認識させる場でもあった。
安住恭子(演劇評論家)
from名古屋
劇場は乗り物であり、望遠鏡である。
頭の中でどんなにステキな劇を思い描くことができたとしても、劇場がなければ、それを他者の前に連れ出すことはできない。
そして私たちは、劇場に通い舞台と向き合うことで、演劇の現在はもとより未来までも凝視する。
劇場は必要だ。劇場は大切だ。私にはそれは当たり前のことだ。
当たり前のことを、しかし、今、強く思う。思わざるをえない。
当たり前のことが、実はかけがえのないことなのだ。と、思い知るのも大事なことだ。
でも、やっぱり、当たり前のことは当たり前であってほしい。
いつものように当たり前の顔をして、いかにも普通に当たり前であってほしい。
角田達朗(空宙玩具〈TACO〉・愛知淑徳大学教授)
from名古屋
ナビロフトは大学生の時から通っている劇場です。
最初は観劇のためでした。
次は出演する舞台のために、
稽古のため…
所属する劇作家協会東海支部の打ち合わせやイベントで…
自分企画の舞台のフライヤーの折り込みにも何度も行きました。
会場を勘違いして、その週は何の公演も無いのに600枚のチラシを抱えて行った事もありました。
そんな時にも劇場のスタッフさんが「その公演は七ツ寺だよ」と、優しく教えて下さいました。
駅からナビロフトまでの通り道、
橋から川を見下ろして悠々と泳ぐ鯉と亀を見るのが毎年春から夏にかけての楽しみです。
来年も変わらず、川を見下ろした後に変わらず劇場に通える事を願っています。
from名古屋
『観客のためにこそ、劇場は必要だ』
この数ヶ月で当たり前が当たり前でなくなってしまった。やるはずだった舞台は情報公開していたものそうでないもの含め10本トンだ。
僕らがこのナビロフトで公演したのはまだ緊急事態宣言が出る前の3月の中頃。今や世の中は「リモート」「配信」である。
ぶっちゃければ、舞台の上だろうとカメラの前だろうと僕らがやる事は同じだ。本を書き、台詞を覚え、リモートであれ稽古を重ね、そして芝居を立体化する。
じゃあ何が違うのか。
それはその作品を見るあなたの隣に、同じ空気を共有する他者がいないという事だ。劇場には同じシーン、同じセリフで、同じ様に笑ったり泣いたりする他人がいる。たとえ劇場に観客が1人でも、後ろや入り口、そして舞台上に生身の存在がある。
観劇におけるポイントは、同一空間に見知らぬ共有者がいるという事だ。その空気、温度は、残念ながらモニター越しに届け合う事はできない。
芝居を見に行くという事は、誰かに会いに行く事であるという事を、この期間で思い知らされた。
劇場は、その出会いやある種の共犯関係を構築するためになくてはならない存在のひとつである。
僕は作り手だからこそ、劇場で芝居が観たい。このナビロフトで、隣に座る見ず知らずのあなたと同じタイミングで笑いたいのだ。
from名古屋
名古屋の小劇場演劇を支えてきた劇場が危機に直面しています。
演劇という文化をこれからも継続していく為に必要なものは沢山ありますが、劇場はその土台となるものです。
劇場があるからこそ我々はこれまで演劇作品を発信することが出来ましたし、これからも我々にとって必要となるものです。
なによりナビロフトには歴史があります。
ただ場所があればいいという訳でなく、多くの演劇人による喜怒哀楽が染み込んだあの壁や天井、それを残すことに意味があるのだと思います。
こんな時だからこそ力を合わせて進まなければならないと感じています。
長谷川公次郎(名古屋演劇アーカイブ 代表・虚構オメガ 主宰)
from名古屋
ナビロフトがなくなるのは困ります。ここはただの劇場ではなくて、ナビロフトという名古屋演劇界にある概念の一つで、名古屋演劇を理解するために必要なものです。こんな時代だからこそ、私たちがそういう場所を大切にすることに価値があると思います。
from名古屋
数々の北村想作品を拝見した、プロジェクト・ナビのアトリエ時代から現在に至るまで、「ナビロフト」へ足を運んだ数は三桁に及びます。観客として、取材者として、時には公演スタッフの一員として。外と内、両側からこの劇場を眺め続けて、気づけば四半世紀が過ぎました。
名古屋の中心部からも自宅からも遠く、少し不便な場所であることは確か。でも、天白川に沿って続く劇場への閑静な道のりは、散歩気分で川や緑を眺めながら歩むときも、開演間近で急ぎ足のときも、雨の日でさえ心地よく清々しい。
ゆったりとした劇場空間は、訪れるたび、大木やブランコのある広場や公園、家財道具で埋め尽くされた部屋の中、どことも知れない街や村の一角、人がポツネンと佇む何もない場所…と、千変万化します。天井高がうんとあるこの劇場ならば、あれも出来る、こんなことも出来そう! と、きっと創り手は想像力を掻きたてられるのでしょう。
そんな「ナビロフト」の、段差の高い階段状客席の後列から、鳥瞰するように芝居を観るのが好きです。小熊さんのご尽力により、ここでしか出会うことができなかった団体や作品もたくさんあり、それらをこれからもずっと観続けられることを、願ってやみません。
from名古屋
何度も通いました。演ったり観たり、観たり飲ったり演ったり観たり。秘密基地めく、辺境の中伽藍。アンちゃん、小熊さん、お家騒動や利用者にソッポ向かれてならともかく、新型ナンチャラとかいうセコなチンピラのセイで、アマタ不要不急のユメと妄想の格納庫が、ココロザシもろとも消滅してしまうなんて、ナンともカントもやりきれません。こんな局面、純粋痢性と不純な痴性で曲面突破、軽々とゲンジツから浮揚して、不用不朽のガランドウを護ることが出来たらいいな。と、想っています。
from名古屋
小熊さんには世話になりっぱなしだ。だからこんな時こそ恩返ししなければと思い、すごく個人的理由でこの応援メッセージ書いてます。
小熊さんと三重県文化会館との絡みでいうと、KUDAN Project では不朽の名作「真夜中の弥次さん喜多さん」「くだんの件」を上演してもらい、オール三重スタッフのクリエイション、烏丸ストロークロック「国道、業火、背高泡立草」では重要な役で客演もいただいた。小ホールに泊まった朝には、よく二人でコメダのモーニングに行ったのも懐かしい。名古屋演劇との絡みでいうと、小熊さんが他地域の面白い劇団を招聘してくれるおかげで、ハイバイ、五反田団、ナカゴーらを名古屋で観られたのも大変有難かった。演劇初心者に演劇の扉を開く活動や、若手演劇人育成への身銭を切った取り組みにも頭が下がる思いだ。そんな小熊さんからある時ナビロフトの運営を引き継ぐという話を聞いた。我々世代からするとレジェンドである北村想さんがアトリエにしていた、名古屋の中心部からはやや離れたところに位置する一癖も二癖もある小屋だ。いわゆる‘聖地’オーラにあふれる場所で、名古屋では七ツ寺と並んで三重から行くと‘ビビる’場所。アトリエ劇研がなくなった時、精華小劇場がなくなった時、なんともいえない気持ちになったので、やはり‘聖地’にはいつまでも頑張ってもらいたい。
ということでナビロフト存続に向けて全国の皆様からのお力添えを応援させていただきます!
from三重
私にとってナビロフトは伝説の場所でした。憧れの役者さんが多く出入りしてて素敵なところ。いつもみんなの笑い声が聞こえるオンリーワンなところ。いつか私もその空間に立てる夢見てようやく実現。あの時の感動はわすれられません。
小熊さんがプロデューサーに就任されてからナビロフトの輝きはますます大きくなり必然的な存在になりました。 これからもずっと一緒に。
from大阪
名古屋には多くの劇場があります。それら全てがとても大切なものですが、この地で20年以上演劇をしてきた人間として、ナビロフトは特に失ってはいけない劇場の1つだと考えます。キャパ100以下の濃密な小劇場はいくつかあり全て魅力的な空間ですが、ナビロフトはその中でもずば抜けて天井高のある劇場で、その個性が表現の幅を保証してくれます。創作者は誰しも作品を発表する場所を意識するものであり、場所の特徴が作品に大きな影響を与えます。ナビロフトが失われるということは、この地で生まれる演劇の作品性が変わるということです。できるだけ様々な形と個性をもった劇場があり、創作者はそれを選ぶというのが理想です。この地の芸術文化の未来のために、ナビロフトという劇場の個性を決して失ってはいけないと強く訴えます。
from名古屋
『ナビロフトの客席に座る』
長いものに巻かれると、ほどけない。
どーも、ジシュクばかりしていると、気持ちがイシュクして、いけません。
おれは劇場の片隅、それも出口寄りにいつも座る。
トシとって、シモが近くなったおれは、舞台のジャマにならぬよう、本番中でもそっと外へ出る。
大昔のテント芝居では、本番中に走って外へ出た役者がそのまま帰ってこないこともあった。名古屋を出たら新横浜までは外へ出られないのぞみ号と違って、劇場は役者も客も出たければ外へ出ればいい。それぐらい自由な場所だ。(最近の劇場はそのうえ静かだ)
誰かに決められた距離の客席ではなく、劇場が、ナビロフトが決めた客席に座りたい。
小堀純(無宿編集者)
from大阪
ナビロフトには、ぴあ在籍時代から20年以上訪れている。かつてプロジェクト・ナビのアトリエでもあったことから、主宰の北村想さんをはじめ劇団員のみなさんの取材や撮影、作品鑑賞のため何度も足を運んだ。やがて想さんたちは劇団を解散し、時が流れ、小熊ヒデジさんが劇場プロデューサーになった。
想さんと小熊さんは、私にとって特別な存在だ。大学1年の夏、初めてチケットを買って芝居を観た。それは第1回NAGOYA演劇遊戯祭の演目で、実行委員として小熊さんも奔走していたことを後で知る。この体験がなかったら、私は今の仕事をしていないと思う。そして私は情報誌の演劇担当になり、北村想という作家から最も多くのことを学んできた。独立して「家鴨の編集舎」という屋号にしたのも名作『DUCK SOAP』に由来している。
想さんと小熊さんが大切にしてきたナビロフトは、演劇文化の発信はもとより、私のような紹介屋を含め様々な人材の育成に関わってきた。人づくりの場ともなるナビロフトの存続を切に願っている。
from名古屋
ナビロフトには、まず学生の頃に観客として行った記憶があります。川を越えて歩いていくと、倉庫のような建物があり心躍りました。小劇場たる素敵な佇まいが大好きです。それから月日が流れ、日本劇作家協会東海支部の支部会を毎月ここの事務スペースでやるようになり、年末の忘年会では日付が変わってもみんなで飲んで盛り上がっていました。さらにナビさんのご協力で数年前から「ナビイチリーディング」というのを開催していて、だんだん定着してきました。劇団としてはまだ上演させて貰ったことはないのですが、訪れる機会はとても多く、ナビロフトはわたしにとって、とても居心地のよい場所です。
from名古屋
ナビロフトは聖地だ。
僕にとっては、師匠が立ち上げた小屋であるという意味において。
後に知る、数々の心を震わせる作品を生み出した劇場であるという意味において。
いや、聖地の聖地たるゆえんはこんなものじゃない。もっと、もっと。
週ごと日ごと集う人々の祈りが染み付いた、壁と、屋根と、床と。
川のほとりで劇場は生きている。
「visitors」で訪れた。
下見に行くと、熱のこもったリハーサルが行われていた。
演出がスタッフによく意味のわからないことをいっていた。
数ヶ月後、僕も行ってよく意味わからないことをいった。
芝居ができた。
聖地は観光名所じゃない。
記念碑なんかいらない。
劇場に逢いたいから、そこにいくんだ。
from大阪
プロジェクト・ナビ時代、天白区の倉庫に引越し稽古場ナビロフトができました。劇団員総出で防音と防寒工事をして、それでも寒くて、ダウンを羽織って稽古をしていました。ここでアトリエ公演をしてみよう、と、研究生公演から始まり、少人数の月一ロングラン公演などを始めたのが、小劇場ナビロフトの始まりです。まだその頃は冬はお客様にも防寒着を着たまま観てもらい、夏は簾と蚊取り線香が活躍しました。ナビ解散とともに本格的に小劇場となり、設備も整い、名古屋では数少ない天井の高い貴重な小劇場となっています。
家賃もかかるし、ナビロフトから離れたナビメンバーとしては、無理しなくていいよ、と思い続けていたのですが、小熊さんがとてもこの小屋を大切に思い、遊び心満載の企画を次々打ち出し、特にVisitors企画などを観ると、ああナビロフトがあって良かった、としみじみ思いました。
コロナウイルスが世界中を襲い、今、小劇場も、ほかの業界と同じような危機に立たされています。
もうこれはあれですね。面白いことが好きな小熊さんがココでやろうとしてることにファンディングしてください、のお願いです。
きっと残れば面白いものが観られます。
from名古屋
世界(宇宙)には四つの力があります。重力・電磁気力(同じものだというのだというのがワカッタのでまとめられました)・強い核力・弱い核力、そんなふうに勉強いたしました。ずいぶんむかしです(いまは核力はまとめらているようですし、重力は実験装置で存在が確かめられました)。とはいえ、私たちの観測可能な宇宙は全体の4%ですから、残りの96%の中には別の力が残っている可能性は大きいです。こういう物理的な力(私はニュートン力学的存在と呼んでますが)や、主に精神的とか、心情的とかいわれている、例えば自分に縁のあるもの、この世から消えてしまっては困るもの、遺したいものを求める力もまた物理量です。けしてそれらはカルトでも神秘的力でも超能力でもありません。ココロのことだから、気持ちの問題だとしても、「気」持ち、の「気」は、漢字ですが、邦訳すれば「Energie」です。銭の力は、たいへん重要なんですが、マルクスがかなり詳細に『資本論』で述べています。初っぱなの交換価値論の数学的解釈が怪しいのですが、その誤謬、勘違い、思い込みがレーニンや毛沢東にまんま(彼らも数学はダメだったようです)踏襲されたために、マルクス経済学はその意図に反して、ドグマチック(教条的、図式的、独我的)なものに陥ってしまいました。
此度のコロナ禍におけるファンディングは、マルクスの本来希求した価値論に近いものだとおもわれます。それはニュートン力学的存在ではありますが、アリストテレス哲学から一気にハイデガー哲学へと踏み出すものです。ハイデガーというのは、二十世紀最大の哲学者だといわれていますが、なんとなくテキ屋臭いところ好きであります。
私は現在鬱病の期間中で、aggressiveかつ、威張りチラシの文体になっていますので、ご無礼いたします。想想不一
from名古屋
我々、地元演劇人が拠り所として愛し続けて来た大事な大事な小屋です。
老舗劇団から若手劇団、学生劇団にとって無くてはならない小屋です。
様々な劇場主催の企画も積極的な小屋です。
この危機を乗り越えられる様に切に祈ってます。
from名古屋
ナビロフトは名古屋の郊外に位置し、なにかのついでに行く、という場所でもないです。だから私は演劇を観に、演劇をやりに、わざわざあの劇場まで出かけるのです。近くには天白川が流れ、駅から劇場へ向かう、春には桜の咲き誇る川沿いの道を、歩いて行くことになります。その道が好きです。私がナビロフトで新作を上演するときは、作品には川が登場します。そこにいる人たちに、劇場に至る道すがらに眺めたであろう、あの川を思ってほしいからです。作品世界の川と現実世界の川とのイメージを重ねることで、登場人物と観客の位相が重なり「今、ここにいる」ことを思ってほしいからです。そういう作劇は、劇場へのあてがきと言えるでしょう。そうさせるだけの力が、ナビロフトにはあります。郊外のどこにでもあるような佇まいの、かけがえのない場所です。
from名古屋
2011年3月の東日本大震災と東電福島原発事故のあと、芝居が書けなくなった。しばらくボーっとしていたのだが、ある時、いかん書かなくてはと思って書き始めたら止まらなくなって今は毎日書いている。活動範囲も広げた。関西の外でも上演の機会を作ることにした。実はいきづまっていたことに気づいたからだ。その途上でナビロフトに出会った。人も場所も建物も設備も良い。2017年秋に約一週間滞在し、2作品を上演し、戯曲講座を3回し、毎日自炊して食べ、お客さんと一緒に打ち上げもした。上演作のひとつ「振って、振られて」は7回上演し、完成度がぐっとあがり、その後各地から声がかかり、再演を繰り返した。定まらなかった私の演劇活動のスタイルはナビロフトでできあがったと言ったら言い過ぎだが、確実に影響を受けた。
Covid-19の出現と拡大は衝撃だ。衝撃がどこまで大きくなるのかまだわからない。脚本を今も書いてはいるが、また書けなくなるかもしれない。その時、ナビロフトがなくなっていては困る。いっぺん書けなくなってまた書き始めて、書き上げた作品はナビロフトで上演したいからだ。
from大阪
旗揚げからずっと地元の近畿圏外で公演を打ったことがなかった虚空旅団にとって、ナビロフトは特別な劇場でした。伊丹想流私塾出身者たちがナビロフトで連続公演を行う企画「Visitors(ビジターズ)」や、北村想さんの書下ろし戯曲を上演させていただいた公演『アトリエのある背中』では、小熊さんをはじめスタッフの皆さんが手厚くフォローしてくださり、おかげで盛況のうちに幕を降ろすことができたことは今でも忘れられない出来事です。今回、そのナビロフトが新型コロナウイルスによって危機に瀕していると聞き、なにかできることはないかと申し出ました。そして返礼品用として2作品の映像提供をさせていただくことになったわけです。
演劇をはじめて30年以上が経ち、人生の半分以上を演劇に関わって過ごしてきた私にとって、劇場は私を救ってくれた“恩人”です。そんな恩人の一人であるナビロフトに、少しでもご恩を返してゆけたらと願っています。
from大阪
大阪で演劇をしております。空の驛舎は縁がありまして、代表作「かえりみちの木」を2018年の冬にナビロフトさんで上演させて頂きました。とても居心地のよい空間で、劇場に自分の劇世界が馴染み、一緒に立ち上がっていく様を実感しました。名古屋のお客様もとてもあたたかく、これもまたお客様と一緒に劇世界が再構築されていったように思いました。素晴らしき場所でした。素晴らしき劇場でした。穏やかな息遣いと言いますかそんなものを終始感じていました。息遣いって人やないのに変な言い方ですね。いやいや私は良き劇場には人格があると思っています。そんな劇場はいろんなところに数々在りますが、名古屋はナビロフトさんでした。ほら、普通に「さん」付けしてしまっていますね。「さん付け劇場」は、人が集い、人が関わり、その熱が劇場に染みているからそうなったと思います。ぜひ、また、寄せていただきたいと思っております。作品でもって、劇場さんとお客さんと交流させていただきたいと願っております。
名古屋の皆様、大阪の皆様、全国の皆様、ナビロフトさんと共に!
from大阪
*メッセージは到着次第、順次更新しています*
ナビロフトは、以下の二つの全国的な小劇場救済クラウドファンディングにも参加しています。
NAVI LOFT since 1994